この季節…です

地獄の季節
著者    :ランボオ
訳     :小林 秀雄
分類     : 散文詩
総合評価   : ★★★
文章     : ★★★★
内容     : ★★★★
分かりやすさ : ★★

一回り読んでみた:意味わかんねー

というかこれが散文詩だということを知って、さらにランボオの自叙伝的作品だということを知っていないと読めないだろ

二回り目読んでみた:うーん何となくわかった

隠喩が多すぎてよくわからない。解説書が欲しい
なんか映画があるみたいなんでいつか見てみたいと思う。

 

で、

2008年8月17日夏コミに行ってまいりましたー

友達を誘ったけどみんな来れないって言われたので

「初めて」+「ひとりで」→言ってきました

買いたいものはいっぱいあったけど

お金がなくてあんまり買えなかったー

でも、かなり楽しかった―

 

詳しい報告は長くなりそうなのでまた明日

 

今回の本は自伝ということで、自伝を書いてみた。

 

 

変わりゆく季節

かつては、もし私の記憶が確かならば、私の生活は東奔西走であった。

何一つ落ち着いたものはなく日々変化していくものであった。
そのような日々の中で私の選んだスポーツは庭球というものであった。
何の意味もない往復運動を楽しむというスタイルが自分に合うと思ったからだ。

同時に、生徒会や合唱会の準備といった様々な仕事におわれる生活はまさに東奔西走だっただろう。

私の生き方は東奔西走
止まっては生きられない
まるで大海原を泳ぎ続ける魚のように

私は同じことを繰り返し行うようなことが嫌いだ。
従って、疲れたときに必ずすることといったものも存在しない。

ただ、読書は好きだ。
世界のありとあらゆることを知ることができる。
世界の多くの人の考え方を知ることができる。
だがやはり、ここにおいても私のやり方は同じ
ジャンルはあらゆるものからバランスよく
ときにはミステリー、ときには純文学、ときには世界文学
同じものを続けて読むのはあまり健康に良くないのではないかという心理が働くからである。雑食と言われればそれまでだが…
ともかく、私は本当に気まぐれに読む本を変えていくのである。

あらゆる人とふれあうことが好きだ。
世界は広い、様々な考え方を持つ人間が互いに影響し合いながら生きている。
そういったものを見ることが好きだ。
まるで、水がお互いに影響し合いながら波を作っていくようだ
だが海は広い。一度にすべてを見ることはできない。
だから私は古今東西、あらゆる人と出会い、また邂逅することを楽しむのである。

ならば、電車旅行なども好きではないのか、と聞かれたことがある。
だが、距離の問題ではないのだと私は答える。
確かに、ある側面では旅行も好きではある。
しかし、数日間しかないような旅行で見られるのはその土地の一つの面にすぎない。その土地の本質に迫ることはできないのである。
電車で距離的に遠いところへ時間をかけていくぐらいならば、
もっと身近で、心理的に遠い場所がいくらでも存在する。
そうはいっても、それは、数日間の旅行の場合の話である。
私の琴線に触れた土地の一つに京都があり、そこには数日間ではあるが、
毎年行き、様々な場所を回っている。
こういうような場合には今までにない様々な刺激にあふれる旅はとても良いと感じられる。

私は思うのだ。人が最も健康でいられるのは、自分のペース、自分の流儀に従って動くときなのだと。それは、大空を飛ぶ鳥、流れ行く水、大地を翔る風、と同様に、ありのままであることの素晴らしさからくるものではないだろうか。

大学に入り様々な点で自由になった。目の前に新たに開けた広大な大地を前に、こうした自分が走り回らない訳がない。
だから、変わりゆく季節の中で、私はこれからもこのスタイルで続けていこうと思う。それが、一番、自分が健康な証ではないだろうか

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